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10 January

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15 November

まーと強さ

技神まーの考え方を知りたい。
そのために、彼の発言や、他のキャラクターと意見が対立するシーンを取り上げている。

シッポウの一件からは、【相手がどういう状態であれ、戦って打ちのめし、勝利を誇示できる者こそ強い】と考えているらしいことがわかった。……だいたい、考えに従わないらしい手下に対して「じゃあ、死ぬか」【4巻】という強要の仕方だし。


まーは、他者を殺せることを示せば他人に言うことを聞かせられることを知っている。


実際、みみみも一度意気消沈した。

勝利を誇示すれば、他人を圧倒して黙らせられる。そして、言うことを聞かせられる
そんな考え方をしている、というのを指摘している時点で私はすでに涙がとまらない。




* * *

6巻「とらわれたみみみとわざぼー」は苦手な話だ。できれば読みたくない。
つまらないとかおもしろくないとかじゃなくて、痛々しくて読んでいられない。
つらい。








今まで見てきたように、まーはクソ野郎なんだけれど
「うらぎり者」という一点のみにおいてめんめんくんもそこそこクソだ。
目くそ鼻くその戦いだ。私は彼らいずれにも同情しないように心を殺す。

今度は、自分を打ち負かすために誰かと共謀しようとするヤツは弱虫だと罵っている。

カゼをひいて弱ってるヤツとは戦えないと弱虫呼ばわりするのに引き続き、
自分の意見以外は封殺しようという類の発言だ。

病気なんて知らないし、個人の思惑なんてあっていいわけがない。
そんなことは言い訳で、命令に従わないのは弱虫だ。
そして、そんなやつは死んでしまえばいい、と彼は考えている。


まーの手下にだけは絶対になりたくない。

● まーの言うことを聞く人

そんなクソ野郎がどうして仲間を獲得できるのか、よくわからない。
わざ武王には手下になれば願いを叶えるかわりに命令に従わせる
「魔の約束」というシステムがあった。



5巻「ジミな正体とわざぼー」


似たようなことをするケースもあるらしい。


あるいは、



5巻「ヤミの三闘士とわざぼー」


まー以外は認めないし、命令には絶対従う、死ねといわれたら死ぬという部下もいた。
名前からして、ラヴーマー(LOVE まー)だし。


彼についても、まーについても、セクシュアリティがどう、という
はっきりしたことは書いてないからわからない。

だから、このまーへの「あこがれ」がどういう種類のものかは断定できない。ただ、彼の発言を拾うと「まーさまは世界最強のわざぼー使い」「世界の王にふさわしい」「世界をほろぼす大型爆弾」など、強さを讃える内容である。

2015.11.27 追記
3巻「技神まーと……。」で、チャオチャオは「どーやって敵に勝ったのか/教えてよー」とまーの使った摩訶不思議な力の正体を知ろうと後をつけた。敵に勝利できる力は魅力的なものとして描かれている。だが、まーの人柄が怖いとわかると力の正体を知ってもチャオチャオは彼の元を去った。

いよいよ、ラヴーマーの性癖が疑わしい。


おそらく、勝利を誇示したことによる配下の獲得といえるだろう。
強いということが、いかに人を惹きつけ、支配を可能にするか。


このように手下は、まーの強さへのあこがれや、彼の能力により自分の願いを叶えるため
その命令に従っているらしいことがうかがえる。

● まーがつっかかるもの

シッポウが強さについて語るシーンである。
彼は、まーの一方的な攻撃の威力と優勢を差し置いてみみみが強いと言った。






4巻「技神まーとわざぼー」


明らかにムッとしている。


また、シッポウのところでの戦い以来みみみと再戦したときも、みみみが力をつけて一方的な戦況にならなかったことに焦りをみせた。何度吹っ飛ばしても挑んでくるので、マジ切れする。






6巻「みみみとまーとわざぼー」


まーは勝利を誇示するような力の強さで、他者を黙らせ言うことを聞かせられない状況が苦手
だ。相手が自分より力が弱いとわかっていれば「弱虫」と罵り威圧することもできるが、力で押し通せない場合はもうどうしようもない。


そして、その力について疑問を投げかけられると、ろくに言い返せないのである。



同上


● まーの必死さ

病気なんて知らない、個人の思惑なんてあっていいわけがない。命令にだけ従っていればいい。そうじゃなきゃ弱虫だから死ね。……まーの手下に求められるスペックはもはやロボットである。初登場時[3巻]、彼は自分に加担させる他人を「なかま」と呼ぶが「道具」を意味した。(道具になかまとルビがふってある)

手下たちは、彼の力を畏怖し、彼からの恩恵に浴すことに喜び命令に従っているっぽい。
「技神まー」の名前のとおり神のように接していると思われる。


まーが協力者を募ってまで戦っている理由というのは、



同上


ということなのだけれど。


  「だれかのちからをかりてイチバンになる/なさけない/こわくない/弱い」


とは、みみみの意見だ。まーの有無を言わせず従わせる力を否定するものだった。
みみみはまーの思い通りにならない。
つまり、彼の論理をつき崩したということになる。


ところで疑問なのだけれど、まーはなぜこんなにまで強さにすがっているのだろう。

見てきたように、まーは勝利を誇示する者を強いと言っている。そして、その強さは他者を従わせるものである。そのような強さを示しても他者が従わないことがあると焦るし、怒る。個人がどんな意見を持っていたとしても、弱虫呼ばわりをして気力を削ごうとする。

だから、彼は勝利を得られる強さというよりは、他を従えられる強さ
を得ようとしている印象が持てるがどうか。

世界最強であり、だれよりもすぐれていることを示す、勝利の称号としてのイチバン。それは、まーにとって、やはり有無を言わせず他を従わせることについて揺るがすことのできない権利として主張するためのものなのではないか。






同上


「確実な」「必ず」という手堅さを求めるところに、切実さや、いまの権力が絶対でないことへの不安を読みとることができるかもしれない。あるいは、それは浅はかさかもしれない。


次回は、まーの敗北の仕方と作品が悪とするものについてを見ていきたい。

――今回はこのへんでノシ

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